元横綱照ノ富士の暴力問題、“甘い処分”に揺れる角界。伝統と改革の狭間で

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大相撲の世界を再び激しい衝撃が襲った。令和八年春、元横綱照ノ富士こと伊勢ケ浜親方(34)が、自身が師匠を務める伊勢ケ浜部屋の幕内力士、伯乃富士(22)に対して暴力を振るった疑惑が発覚。日本相撲協会は四月九日の臨時理事会において、当該親方を委員待遇年寄から年寄への二階級降格と、報酬の一部減額(10%減を3カ月)とする処分を下した。しかし、この“懲戒”の内容に対し、世間からは「甘すぎる」と即座に批判の声が上がっている。なぜなら、角界は過去に幾度となく暴力や不祥事を経験し、平成三十年には「暴力決別宣言」を掲げてきたからだ。伝統を重んじる国技の聖域で、またしても明るみに出た「タブー」。師弟の絆が時に過酷な体罰という形で歪んでしまう構造的問題は、そう簡単に断ち切ることができるのだろうか。

事の起こりは、思わぬ場所から転がり込んだ。令和八年二月二十一日未明、東京都港区内の会員制ラウンジ。酒の席で、泥酔状態にあった伯乃富士が、後援者の知人女性に対して太ももを触るなどの不適切な行為に及んだ。それを目の当たりにした伊勢ケ浜親方は、「仕置きが必要」と感じ、座ったままの状態で拳や平手を用いて弟子を殴打したという。親方は翌々日である二十四日に「暴力を振るった」と自ら相撲協会に報告。コンプライアンス委員会の調査が行われた結果、暴力行為そのものは禁止規定に抵触するものの、「不適切行為を嗜める動機があった」「悪質性が低い」と判断され、師匠交代や部屋閉鎖といった極刑は免れた。しかし、ここで見過ごせないのは、加害者であり被害者でもあるこの奇妙な構図だ。果たして、暴力が暴力を解決するという前時代的な論理は、令和の現代社会において通用するのだろうか。酒の席での失敗を、体罰というさらに大きな過ちで上書きする——そんな悪しき連鎖を、指導者自らが率先して行ってしまった事実は重い。

この問題の根深さは、単なる一親方の「憤怒」の問題に留まらない。被害を受けた伯乃富士も、実は決して無垢な存在ではない。彼が泥酔状態で女性に対する不適切行為を働いたことは事実であり、協会からも「著しく品位を欠く行為」として厳重注意処分を受けている。つまり、これは「悪い師匠」と「哀れな弟子」の単純な対立図式ではなく、伝統的な「部屋」という閉鎖的なコミュニティが抱える病理そのものが噴出した事件なのである。特に、ここで言及しなければならないのは、この伊勢ケ浜部屋の複雑な背景だ。この部屋は、かつて令和六年に不祥事により閉鎖に追い込まれた宮城野部屋の力士たちを吸収する形で発足した。角界最多の三十一人もの力士を抱える大所帯であり、そこには元横綱白鵬の影響下にあった力士たちも在籍している。移籍してきた力士たちと、新たな師匠である伊勢ケ浜親方との間には、見えない緊張感が張り詰めていた可能性も否定できない。

相撲協会の対応について、さらに詳しく見てみよう。今回の処分を決定付けた大きな要素の一つが「一過性」と見なされた点、そして何より「師匠からの自主申告」という点である。過去の隠蔽体質を反省し、自ら声を上げたことを評価したというわけだ。また、伊勢ケ浜親方は現役時代、数多くの怪我と闘いながら十回の優勝を飾り、ファンから絶大な人気を誇った横綱である。協会内部にも根強い支持者がいることは想像に難くない。しかし、だからこそ「甘い」との批判は根強い。現場の力士からは「一発殴られたくらいで師匠を代えるのか?」という伝統派の声がある一方、スポンサーや一般女性ファンからは「暴力で指導する時点で失格。この程度の罰則では、また同じことが起きる」という厳しい声が聞こえてくる。実際、この処分が決まった四月九日の夜、SNS上では「伊勢ケ浜はラッキーだった」「これで角界の体質は変わらない」といった投稿が相次ぎ、トレンドワードに「相撲協会」が浮上する騒ぎとなった。

では、この事件を受け、伊勢ケ浜部屋は今後どうなるのか。協会は再発防止策として、伊勢ケ浜一門の指導監督の下、部屋付きの親方を含めた五人の親方による「集団指導体制」を敷くことを決定した。部屋付きの楯山親方(元幕内誉富士)は「師匠には言いにくいこともあったと思うが、これからは同じ立場で部屋を見ていく」と語り、改革への意欲を見せている。また、彼は今回の処分について世間の「甘い」という声を承知の上で、「内部的には暴力はいけないが状況もある。自分の中では妥当ではないかな」と、複雑な胸の内を吐露した。要するに、「殴った側も殴られた側も納得している」という閉じた論理が、そこではまだまかり通っているのだ。私たちはここで、はっきりと問いかけたい。本当に強い力士を育てるために、拳は本当に必要なのだろうか? 稽古の厳しさと、暴力による支配は、紙一重でありながらも決定的に異なる線引きがなされるべきではないか。

八百長問題、薬物疑惑、そして度重なる暴行事件。国技館の土俵は、長年にわたり様々なスキャンダルに彩られてきた。平成二十三年には八百長問題で二十数名の力士が引退に追い込まれ、角界の根幹が揺れた。そして平成二十九年には、元横綱日馬富士が暴行事件で引退するという衝撃が走った。その度に協会はコンプライアンス委員会を立ち上げ、「親方の暴力には厳罰」を掲げてきたが、今回の一件でその決意は揺らいだと見られても仕方ない。今回の一件で特に皮肉なのは、伊勢ケ浜親方自身が、過去に旧宮城野部屋から引き継いだ力士たちを指導する立場にありながら、その前師匠である白鵬がかつて弟子の暴力問題で部屋を閉鎖に追い込まれた当事者だという点である。歴史は繰り返すと言うが、まさに「負の歴史」の連鎖がここにある。もし協会が真に改革を志すのであれば、結果論の「甘い処分」ではなく、暴力の芽を未然に摘む教育の導入や、力士のメンタルケア体制の抜本的強化が急務である。

最後に、この騒動の行方を見据えたい。伊勢ケ浜親方は謝罪会見で「暴力は理由が何であれ決して許されることではない」と語った。しかし、言葉と行動の矛盾は、部屋の力士たちにどのようなメッセージを送ることになるだろうか。確かに、海外のスポーツ界と比較しても、日本の「体罰文化」は根深い。しかし、だからこそ、頂点に立つ横綱経験者だからこそ、手ではなく「言葉」で示す強さを証明してほしかった。この記事を執筆している現在、師匠と弟子は表面上は和解しているように見える。しかし、土俵上の真剣勝負とは異なり、人の心のわだかまりはそう簡単には取れない。楯山親方が「後はこれからですよね」と語るように、これからこの大所帯が一丸となれるかどうかは、まさに神のみぞ知る、である。国技の伝統を守ることと、現代社会の倫理観とをどう調和させるのか。その答えを、私たちは土俵の外で問われているのかもしれない。

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