「かい人21面相」の正体は今も不明 グリコ・森永事件から40年、完全犯罪となった昭和最大の企業脅迫事件を振り返る

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1984年3月、江崎グリコの社長が自宅から拉致された事件を皮切りに、日本の食品会社を次々と脅迫した一連の事件が起きました。犯人は「かい人21面相」を名乗り、報道機関に挑戦状を送りつける「劇場型犯罪」として社会を震撼させました。正式名称は「警察庁広域重要指定114号事件」。40年以上が経った今も犯人は分かっておらず、2000年にはすべての事件が時効を迎え、完全犯罪となりました。日本語版ウィキペディアや当時の報道記録をもとに、事件の経緯を振り返ります。

社長拉致に始まった1年半の脅迫劇

1984年3月18日夜、兵庫県西宮市の江崎グリコ社長・江崎勝久氏の自宅に覆面の男らが押し入り、入浴中だった江崎氏を拉致しました。犯人は現金10億円と金塊100キロを要求しましたが、江崎氏は3日後の3月21日に大阪府茨木市の倉庫から自力で脱出しました。その後、グリコには脅迫状が次々と届き、4月10日には大阪市のグリコ本社が放火される事件も起きました。4月23日に届いた脅迫状から、犯人は「かい人21面相」を自称するようになります。この名前は江戸川乱歩の小説に登場する怪人二十面相に由来するとみられています。

次々と標的を変えた食品会社、青酸入り菓子をばらまく

グリコへの脅迫は6月に収束宣言が出されましたが、犯人の標的は丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、そして和歌山の駿河屋へと広がっていきました。1984年10月には大阪・兵庫・京都・愛知のスーパーなどで「どくいり きけん たべたら しぬで」と書かれた紙を貼った青酸入りの森永製品が13個見つかり、全国の消費者が不安に陥りました。翌1985年2月には東京と愛知で青酸入りのチョコレートがばらまかれました。現金の受け渡しは何度も指定されましたが、犯人は一度も受け渡し場所に現れなかったといいます。

「キツネ目の男」をあと一歩で取り逃がす

捜査線上に浮かんだのが「キツネ目の男」と呼ばれた不審者です。1984年6月、丸大食品への脅迫をめぐる現金受け渡しで刑事が電車内で不審な男を発見しましたが、現行犯逮捕の方針から接触が制限され、雑踏に紛れて見失いました。同年11月のハウス食品の現金受け渡しでも、滋賀県・大津サービスエリアなどで同じ特徴の男が複数回目撃されましたが、職務質問が禁じられていたため取り逃がしました。このとき不審な白いライトバンがパトカーの追跡を振り切り、運転手の似顔絵が公開されましたが、犯人の特定には至りませんでした。

滋賀県警本部長の自殺と「終息宣言」

1985年8月7日、不審車両を取り逃がした責任を感じていた滋賀県警本部長の山本昌二氏が、遺書を残して自宅で焼身自殺しました。山本氏はノンキャリアから本部長まで上り詰めた人物として知られていました。その5日後の8月12日、犯人側から「くいもんの会社いびるの もおやめや」との終息宣言が届きました。理由は「亡くなった本部長への香典代わり」というものでした。この日、終息を報告するため日本航空123便に搭乗していたハウス食品の浦上郁夫社長が墜落事故で犠牲になるという悲劇も重なりました。終息宣言の後、犯人の動きは完全に止まりました。

なぜ未解決のままなのか(諸説は未確認の推測です)

犯人の動機も正体も、今なお分かっていません。日本語版ウィキペディアが紹介する諸説の中では、江崎家やグリコの内部事情に犯人が通じていたことから「怨恨説」、脅迫を受けた企業の株価の乱高下に着目した「株価操作説」などが知られていますが、いずれも未確認の推測にすぎません。犯人は1年半の間に企業や報道機関、警察宛てに計144通もの脅迫状・挑戦状を送り、遺留品も多く残しましたが、広く流通する商品ばかりだったため特定にはつながりませんでした。捜査に投入された捜査員は延べ130万人、捜査対象は12万5千人に上ったとされています。1994年に誘拐事件が、2000年2月13日には残るすべての事件が時効を迎え、広域重要指定事件として初めて犯人を検挙できないままの未解決事件となりました。

事件が日本社会に残したもの

この事件は「劇場型犯罪」と名付けられ、マスコミを巻き込む犯罪報道のあり方に大きな議論を残しました。また、毒入り食品をめぐる混乱を教訓に、流通食品への毒物混入を防ぐ特別措置法(いわゆるグリコ法)が制定されました。犯人が警察無線を傍受していたことも明らかになり、警察無線のデジタル化が進むきっかけにもなりました。毒入り食品による死者が出なかったことは不幸中の幸いでしたが、脅迫状に書かれた言葉の数々や「キツネ目の男」の似顔絵は、今も昭和の記憶として語り継がれています。2020年公開の映画『罪の声』はこの事件をモデルにしており、事件から40年を経ても人々の関心が続いていることを示しています。

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