私たちが住むこの国を「日本」と呼びますが、この国名はいつ、どのようにして生まれたのでしょうか。実は「日本」という国号が定められた正確な時期は、今もはっきりとは分かっていません。古代の記録をたどりながら、その謎に迫ります。

昔は「倭」と呼ばれていた
日本という国名が使われる前、この国は「倭(わ)」と呼ばれていました。「倭」は中国や朝鮮半島側からの呼称で、日本側も自国の表記として使うことが多かったとされます。3世紀の『魏志倭人伝』には「倭国」の記述があり、5世紀には倭の五王が中国に使者を送ったことが記録されています。
やがて日本側では、「倭」を「和」と書き換えたり、自国を「日本」と表記したりすることが増えていきました。「倭」という字には「従順」や「小さい」といった意味合いがあり、自国の呼称としては好ましくないと考えるようになったためとも言われます。
「日出づる処の天子」|607年の国書
「日本」という呼称の最初の徴候として有名なのが、607年(大業3年)の出来事です。聖徳太子が隋の煬帝に送った国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という一文があったと『隋書』に記されています。
「日出づる処」とは太陽が昇る東の国、すなわち日本を指します。中国から見て東にある日本が、太陽の昇る国として自らを表現したのです。この表現が、後の国号「日本」につながる考え方だったとされます。

671年「号を日本に更む」|朝鮮半島の記録
朝鮮半島の歴史書『三国史記』には、文武王10年(671年)の条に「倭国、号を日本に更む。自ら言う、日出づるに近きを以て名と為す」という記述があります。「太陽が昇る場所に近いことをもって国名とした」という意味で、「日本」という国号の由来を直接説明する貴重な記録です。
ただし、この記録がどこまで正確かについては議論があり、日本側の史料ではこの時期の「日本」使用は確認されていません。
701年・大宝律令|確実な最初の用例
「日本」という国号の確実な最初の用例として一般的に挙げられるのが、701年(大宝元年)に施行された大宝律令です。その序文に「明神御宇日本天皇」という文言が記されています。
大宝律令は日本初の本格的な法典で、この頃からヤマト王権は「日本国」を国号として用い、大王に代わる新しい君主号として「天皇」を正式に定めました。つまり、701年頃に「日本」と「天皇」という二つの呼び名がそろって誕生したのです。
なお、678年頃に作られたとされる百済人武将の墓誌に「日本」の文字が見つかったという報告もあり、実際にはもう少し早い時期から使われていた可能性も指摘されています。

「日本」の意味|太陽の昇る国
「日本」は「日(太陽)の本(もと)」、つまり「太陽の昇る国」という意味です。古代の日本人が、東の海から昇る太陽に特別な思いを抱いていたことがうかがえます。太陽神である天照大神を皇祖とする神話とも深く結びついています。
興味深いことに、中世の日本では「大日本国」を「大日如来の本国」と解釈する説もありました。時代によって国号の解釈も変化してきたのです。
近代以降、国号を定めた法令はありませんが、大日本帝国憲法の下では「大日本帝国」、日本国憲法の下では「日本国」が使われています。
まとめ
「日本」という国名は、7世紀後半から8世紀初頭にかけて、「倭」から少しずつ変わっていったと考えられています。太陽への憧れが込められたこの名前は、1400年以上たった今も私たちの国を表し続けています。国名の由来を知ると、日の出を見る目も少し変わってくるかもしれません。

