標高3,776メートル、日本一高い山・富士山。2013年6月22日、富士山は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉―」としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。山そのものではなく、人々が富士山に寄せてきた「祈り」と「芸術」が評価されたのです。

なぜ「文化遺産」なのか|信仰と芸術が評価された
富士山は山なのに、なぜ「自然遺産」ではなく「文化遺産」なのでしょうか。それは、富士山の価値が「人々と山との長い関わり」にあると認められたからです。
登録名称の通り、二つの価値が評価されました。一つは、古来人々が富士山を神として畏れ、祈り、登ってきた「信仰の対象」としての価値。もう一つは、葛飾北斎の『富嶽三十六景』などに代表される「芸術の源泉」としての価値です。
世界遺産は山頂だけでなく、浅間神社や登山道、御師住宅、湖や湧水など25の構成資産によって形作られています。
浅間大社と富士信仰|神の宿る山
富士信仰の中心となるのが、富士宮市にある富士山本宮浅間大社です。全国に1300以上ある浅間神社の総本宮で、御祭神は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ、浅間大神)です。
富士山は「神体山」として信仰され、山頂には浅間大社の「奥宮」が鎮座しています。実は、富士山の8合目より上の部分は、登山道などを除き浅間大社の境内となっています。これは江戸時代に徳川家康から寄進されたことに由来します。
富士山の名前の由来には諸説ありますが、「福慈岳」「不二山」などの古い表記も残っています。

富士講と登拝の歴史|江戸の庶民も登った
富士山への信仰登山が大衆化したのは江戸時代です。「富士講」と呼ばれる信仰集団が組織され、多くの庶民が富士山を目指しました。18世紀後半には、他の登山口の合計と同程度の参詣者が吉田口を利用したとされるほど賑わいました。
登山道の起源は、末代上人が開いたとされる村山口にさかのぼります。13世紀には大宮・村山口、吉田口、須山口の3つの登山道の存在が確認されています。登山者を案内する「先達」や、宿坊を営む「御師」といった仕組みも生まれました。
明治時代の神仏分離令により、山頂の仏教的な要素は取り除かれましたが、信仰の山としての性格は今も受け継がれています。
芸術の源泉|北斎と広重が世界に広めた富士
富士山は古くから和歌や絵画の題材となってきました。葛飾北斎の『富嶽三十六景』(1830年代)は、その代表作です。凱風快晴(赤富士)や神奈川沖浪裏(大波)など、富士山の様々な姿を描いたこの連作は、ヨーロッパの印象派にも影響を与えたと言われます。
歌川広重の『東海道五十三次』にも富士山は度々登場します。こうした浮世絵を通じて、富士山の姿は海外にも広まり、「日本の象徴」としてのイメージが形作られていきました。

噴火の歴史|1707年の宝永噴火が最後
美しい富士山ですが、活火山であることも忘れてはなりません。記録に残る最後の噴火は1707年(宝永4年)の宝永噴火で、江戸の街にも火山灰が降り積もったとされます。以来300年以上、噴火していませんが、気象庁は24時間体制で観測を続けています。
かつての人々にとって、噴火する富士山は畏怖の対象でした。その畏れが祈りへと変わり、信仰が生まれたのです。
まとめ
富士山は、ただ高い山だから世界遺産になったのではありません。人々が畏れ、祈り、登り、描き続けてきた長い歴史こそが、その価値です。登山シーズンには多くの人が頂を目指しますが、遠くから眺めるだけでも、その雄大さに心を打たれます。次の登山シーズンには、信仰の山としての富士山にも思いを馳せてみてください。

