794年、桓武天皇は都を長岡京から平安京(現在の京都)へ移しました。「平安」という名の通り、平和な世を願っての遷都でした。ここから約400年続く平安時代が始まります。貴族文化が花開いた、日本史上もっとも雅な時代の物語です。

平安京|碁盤の目の都づくり
平安京は、中国の都・長安をモデルにした計画都市でした。碁盤の目のように整然とした街区が広がり、北には御所(大内裏)が置かれました。都の名前「平安京」には、末永く平和が続くようにとの願いが込められています。
遷都の背景には、奈良時代に力を持ちすぎた仏教勢力から離れたいという桓武天皇の思惑もありました。新しい都で、天皇中心の政治を立て直そうとしたのです。
藤原氏|摂関政治で権力を握る
平安時代中期になると、藤原氏が政治の実権を握ります。娘を天皇の后妃として送り込み、外戚として摂政・関白の地位について政治を動かす「摂関政治」です。
藤原道長(966〜1028年)はその頂点に立った人物で、「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思へば」という有名な歌を残しました。道長の時代、藤原氏の栄華は絶頂を迎えます。
藤原氏が建てた平等院鳳凰堂(1053年)は、極楽浄土への憧れを形にした建築で、十円硬貨にも描かれるほど日本を代表する文化財です。

貴族文化の開花|国風文化の時代
894年に菅原道真の建議で遣唐使が廃止されると、日本は大陸の影響から離れ、独自の「国風文化」を育てていきます。ひらがなが生まれ、和歌や物語文学が栄えました。
貴族たちは四季の移ろいを愛で、和歌を詠み、香を楽しむ優雅な生活を送りました。一方で、地方では武士と呼ばれる戦士たちが力をつけ始め、時代は少しずつ動いていきます。

まとめ
平安京の400年は、藤原氏の栄華とともに貴族文化が最高潮に達した時代でした。その美意識は、今の京都の町並みや祭りにも受け継がれています。平等院鳳凰堂や京都御所を訪れれば、千年の都の面影に触れることができます。歴史の重みを感じに、ぜひ京都へ足を運んでみてください。

